けんたの気持ち
A君ファミリーとのお付き合いは5年以上になると思います。 高齢者や成人だけでなくすべての人に対応できる看護師になりたいと思い、小児や重症心身障害児者の看護の経験が少なかったので”重症心身障害児者研修”に行ったのがきっかけです。
ある日、突然ステーションに電話がありました。私がその”重症心身障害児者研修”に参加したのをどこからか聞き付けて電話してきたA君ママでした。
それだけ、若年で、難病で、呼吸器の重心(重症心身障害児者)は受け入れるステーションが少ないんだ…と思いました。
当時私は管理者でもなんでもなく、管理者より相談されました。「ちょっと、あんたが研修行ったん聞きつけてかけてきはったらしーで。呼吸器やて。あんたが責任持っていくんなら受けるけどー?」当時の私はまだ若くやる気満々だったので「行きまーす!」と即答しました。
そうは言ったものの、若年も重心(重症心身障害児者)も初めてだったので不安もありました。しかし実際に行ってみると、可愛いA君と明るく元気でしっかり者だけどわりとおおざっぱな気の合うお母さんが暖かく迎えてくださり、A君のことや重心のこと、制度や母の心情や葛藤など、色々教えてくださいました。
重心であっても、若年であっても私達と同じ一人の人間です。自宅で家族と楽しく自由に生活したいのは当たり前のこと。A君やお母さんができる限り普通に楽しく生活が送れるように、お母さんの時間を確保するために看護で見守りにはいったり、A君の楽しみを見いだすためにリハビリで遊びを取り入れたり、私達と同じように季節を感じてもらえるように季節行事を企画したり、一緒に楽しんでいます。
進行性の病気のため、どうしようもない部分もありますが、進行に対する対策をしっかり行い、進行と感じさせない工夫を一緒に考えながら訪問にあたっています。A君ファミリーがA君ファミリーらしく生活できる様に、A君がA君らしく生ききれる様に、これからも力になれるよう頑張ります
進行性難病の子どもが20歳になった時、心不全・呼吸不全を起こしました。
それまでは家族だけでケアをしてきたのですが、人工呼吸器が着いて、退院後に「家族だけでは難しい」と感じ訪問看護ステーションを頼むことにしました。
しかし、難病で呼吸器を着けている子どものケアを引き受けてくれるステーションはなかなか見つかりません。運よく自宅から近いステーションが障がい者の研修をしていたと知人から聞いて、無理を言って引き受けてもらいました。それが「けんた」さんとの付き合いの始まりです。
子どもは呼吸器が着いていてもお話しができています。
全く自分では動かせない体を動かしてほしいと頻繁に訴えます。
食事も口からは摂れずに胃ろう注入、気管や口鼻からの痰吸引、呼吸器管理、血中酸素濃度の管理など医療的ケア満載です。
子どもの病気は少しずつ進行していき、子どもの体調と同じように介護にかかりきりの母も神経をすり減らし、自分の体調はそっちのけで介護をしています。
病気、障がいの子どもを持つ母は、何十年経っても「子どもに障がいを負わせてしまった」と自責の念で自分を追い込んでいきます。子どもの病気に良かれと思うものは何でも取り入れ、昼夜問わずのケアをして無理をしていきます。家族の理解がないと生活が成り立たなくなります。
そこを助けてくれるのは訪問看護師さん達。
医療面、生活面でのアドバイスやケアで支えてくれています。
訪問看護師さんは、体調観察、医療的ケア(痰吸引、胃ろう等)、衛生面のケア(ベッド上で洗顔や洗髪、清拭等)。体調悪化時には自宅での点滴。急変時の対応では夜中であっても来てくださったこともありました。
作業療法士さんは、呼吸療法や固くなった筋肉をほぐし、本人の「楽しく過ごす!」ということを常に考えてくれています。
桜の咲くころには近くの公園へ花見にみんなで一緒に行き、ハロウィンやXmasを一緒に楽しみ、音楽が好きな子どもに鍵盤のアプリで弾かせてくれたり、視線を感知してゲームを楽しむ機器を導入してくれたり、楽しく遊びながらリハビリができるように考えてくれています。
子どもにとって今では訪問看護師さんは第二の母であり、作業療法士さんは頼れるお兄さんのようになっています。母が落ち込んでいかない様に何気ない会話で励ましてくれています。
子どもだけでなく母の心にも寄り添っていただいて、一番の理解者であり、信頼できる存在です。(母)
「自分らが来て何してくれるんや?私の病気を治してくれるんか?」
3年前に初めて出会った時のA氏(当時77歳)はそう言って丸めた背中をこちらに向け、ベッドに寝転んだまま震えて動かなくなった手足を見つめているだけでした。
多系統萎縮症という難病で寝たきりになったA氏。進行性の病のため訪問看護が導入されましたが、最初はとても受け入れが悪かったです。
《病気を治すことは出来ないけれど、少しでもA氏が以前と同じように生活出来る様、楽しく過ごせる様、お手伝いがしたい!》という想いで訪問を続けて行った結果、本当に少しずつですが私達と向き合ってくださるようになりました。
リハビリも始めは拒否されていましたが、もともと手先が器用で物作りが大好きという背景を生かし、作業療法士がA氏の生活や希望に合わせたプログラムで介入していきました。
単に身体を動かしたり指先を動かすといったものではなく、まずはA氏が「どんな風に毎日を過ごしたいのか?」を大前提に、その為に必要な動き、そして何より御本人のやる気を導き出すべく本人のペースに合わせて寄り添い進めていきました。
座位訓練から始め、ベッドから起き上がれる様になってから、最初はボードゲームをしたりパズルをしたり、最終的には何と、彫刻刀を握り私達のステーションの看板を彫ってくださるまでに!!
こうしてお話していると簡単な事の様に見えますが、その取り組みには長い月日がかかっています。
その人らしく活きていけるよう、一緒に考えて寄り添い、同じペースで進んでいく、その結果患者様も私達も楽しく活きる。
私達も癒され成長し続けていける!本当にありがたいお仕事です!